私が思うコト 2015/04/08
今日は冷たい雨。 昨日よりも冷たいし寒い。
一昨日の初夏を思わせる陽気が嘘のよう。
さて。
思考について私が思うコト。
そもそも思考って何だと思いますか?
そうです、そうです。
みんなが自分だと思っているもの。
自分だと信じて疑わないもの。
それが思考ってやつですのよ。
しかも、みんなが信じて疑わない思考の99%は自分のものじゃないんですって。
親や友人、学校やテレビ。 昔読んだマンガ、夢中になって観ていたテレビや映画とか。
自分以外から得た情報を信じて、大事に大事にしているってコト。
おまけに。
思考って言うのは本当におしゃべりなんですよね。
ノンストップマシンガントーク。
いっつもうるさく話しかけて来る存在。
しかも、もっともらしい事ばかり言うからついつい耳を傾けて従ってしまうのよね。
自分の頭からアプローチして来るから、みんなそれが自分だと思っている。
疑った事がない人って、い----っぱいいると思うの。
でもね。
思考は思考でしかなくて、あなたではありません。
あなたのパーツでしかないってコト。
この文章を読んでいるあなたの目は、あなたのパーツであるけれど、あなたではない。
あなたの耳も、鼻も、口も、手も、足も、あなたの役に立つパーツだけれど、あなたではない。
みんな目を閉じたり、耳を塞いだり、話したり、物を持ったり、歩いたり。
それらパーツを自分でコントロールして上手に使って生きている。
なのに思考は?
どうして考えを止める事ができないの?
「お話を止めて静かにして下さい。」
そう言われたらみんな黙るのに、どうして思考は黙らないの?
さぁ考えてみましょう。
思考は私達のパーツでしかないのに、偉そうだと思わない?
みんな思考の言いなりになっているのよー。
主導権を思考に持たせているのよー。
だから、主導権を自分が持って思考をコントロールすればいい。
それだけの事。
思考は例えるなら「口うるさくて過保護な親みたいなもの。」って表現している人がいて、私は唸りました。
そう、それっ! なんて的確なのー!って思ったので勝手に引用させてもらいます。
ずっと自分に着いて歩いて、あーでもない。 こーでもない。って何かしようとする度に自分を邪魔して来る。
もしくは、それはダメ。 これもダメ。って否定して来る。
もしくは~、それは危険。 これも危険。って不安を煽って来る。
うるさーい。 私は私の好きなようにやりたいのよ。
私の人生なんだから!
やってみなくちゃ分からないぢゃないのよ。
親とこんな会話をした事がある方、いませんか?
これって、親が心配しているんですよね。
失敗しないように、傷つかないように、安全であるように。
ついつい過保護に過干渉になってしまう。
思考も全く同じ。
思考は保護メカニズムなのでね。
今ある安全地帯にあなたを留めさせようと必死に守ってくれている。
過保護で過干渉なだけでね。
だけど、そんな親の言いなりになっていたら安全かも知れないけれど、経験も増えないよね。
海は波に引っ張られて危ないから行っちゃダメよ。
川は流れが変わるから溺れるかもしれないから行っちゃダメよ。
山には虫も蛇もいるし、天候も変わりやすいから危険よ。
キャンプなんて絶対ダメよ、家に帰って来なさい。
遊園地? 知らない人に何かされたら危ないわ。
お買い物?迷子になったらどうするの?
あなたは私達に言われた通りにしていればいいのよ~。
(どう考えたって先に死ぬくせに、死んだ後はどうするんだ!)
これはかなり強引な例えですけれど、思考ってこんなもん。
だから、自分が生きたいように生きたらいいよね。
それには親の思考から自分のモノに書き換えが必要。
だけど~。
長いコト活用して来ちゃうと、なかなかどうして。
分かっちゃいるけど変えられなーい。
(だって違う方法で上手く行くって保証はないし~。ってまた囁かれちゃうからね。)
これに苦労するんですよね。
しかも99%も自分じゃないのに。
驚愕。
だ~か~ら~。
元々自分のじゃないんだから返しちゃって、残ったわずかなモノでも要らないモノは手放しちゃえばいい。
どうよ、これ。
自分の部屋にある物が実は99%が人の物だった。
それを全部返して、残った中から必要な物だけを残したら。
あなたのお部屋は断捨離どころの騒ぎじゃないわ。
これを勝手にやってくれるアクセスバーズ®
やっぱりゴイスー。
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